R25と7年

毎年毎年やってたら良い加減書くこと無くなってんじゃねーの、と思うだろう。

あのね、正直に白状すると無くなってはいる。

とは言え「スタイリングがこうでパワーがあんなのでね…」なんて、それこそ同じことを毎年毎年やってたらアホですよ。

そんな状況でも書き続けるのには理由があって。

 まあ、誰もやってないのよ。別に新たなパイを開拓するとかスケベ心じゃなくて、長年使い込んだ過程でバイクと人がどうなっていくかってのがどの媒体でも見当たらない。そこに違和感と好奇心を覚えたからだ。

互いの関係性やライダーの熟練度、ここに手を焼いた焼かない。急にポンと「いやはや、このバイクは15年乗ってましてね。こことここが…」と登場する人は居るが、リアルタイムで美化無し脚色無しの当時と当時がぶつかり合った声って無いに等しい。

じゃあそれを書いて、自分を内省し、一方でたまたま読み取った人には「こんな風になっていくなら手持ちをもうちょい乗ってみよ」とか「色々めんどくさそうだからある程度になったら替えてこ」とか、維持にせよ買い換えにせよ輪郭が濃くなる一端になれるじゃねーかと。

まだ見ぬ景色への探検と読み手への微々たるゲイン。それだけに突き動かされ書いてます。

 

...…そんな固くて遠い話は置いといて、R25との7年で感じたことか。

とにかく邪魔にならないな。色んな面で。

機能的にも車重が軽くてスポーツカー手前くらいの瞬発力があるから、ツーリングから買い物まで余裕でこなせる。

金銭的にも消耗品含めての維持が、軽自動車より断然安い。

精神的にもデザインや機構などの特別感で眩まし、ライダーを躍起にさせる気質を放ってこないから、本当に乗りたいときに気軽に乗れる。

これが絶妙なミソで、変にこだわりが載っかってたり性能が青天井に高いと「持ち腐れ感」がどうにも抜けないのよね。

少し乗らないだけでどこか片隅で「腐る前に腐る前に」と意志がバイクに負けちゃうんだけど、R25にはそれが無い。

スペシャルじゃないから自分もスペシャルじゃなくていい。それが心地よい。

言うなれば、ありふれた安いワンシーターのライトウェイトオープンカー。機能だけ挙げても独り身にはもってこいだから、存在として無駄がない。理屈にも感性にも道理が通ってるから「邪魔」と思ったことが無い。だから長く手元に置いておける。

あとコレは全てを実感してないけど、DIY整備に手が出しやすい。

エンジン周りは発売当初から8年ほぼ変わらないから、多少情報が古くてもハウツーとして充分使える。

またサーキット利用での性能アップ法、外装カスタムのトライアンドエラーなどで行われた整備要領も腐るほどあるから、油脂に電装と目立った消耗品程度なら道具を揃えて説明を読み込めばチャレンジしやすい。

そのうえ純正サードパーティー製問わずパーツ自体の品質の良し悪し判定も蓄積されてるから、ハード面における選択の失敗も少ない。

 それと少しスピリチュアルな話になるが、オレにとってR25はちょうどいいバイクなのだ。

よく乗り味の良いバイクを称するときに「人馬一体」って言葉を使うケースあるじゃない?まるで身体の神経と繋がってるかのように自由自在なバイク、みたいな感じで。

それと海外製とか旧車が不調や故障しては頻繁に手直しするのを「手塩にかける」なんて愛情表現するじゃない?手が掛かるほど可愛いなんつって。

基本的に乗る乗れずとも、自分のバイクと接する時間はどれも豊かなものだと強く思っている。

しかし、ここからはオレの性分なんだろうけど……恵みの量が一方的に偏るってのは、どうにもむず痒い。

大した苦労も無く思い通りに進むと「当たり前の幅」が広くなって、次第に行為がつまらなくなり居心地が悪くなる。

逆に世話して世話しきって、それでも上手く振り向き続けてくれるか分からない「ギャンブル性」の強さは、公道における無責任さを感じずにはいられない。

片や頑張らなくてもどうにかなる環境、片や自分が頑張っても相手が頑張ってくれるとは限らない環境。それが良い悪いではない。オレには合わなかっただけだ。

その点R25は、彼らまでの極端さも趣味としての深みもない。でも「二人三脚」みたいな公平に近い関係で居られるからオレに合ってた。

私はコッチを頑張るので、貴方はアッチを頑張ってください。っていうスタンスの方が生身同士に近いから接しやすいんだよね。

操作にしても、しっかりシフトワークしないと満足に加減速しない。でも、高速道路に下道と適度にしなりの効いたスタビリティが頼もしくアクション自体に気を使わなくていい。

整備にしても、ブレーキキャリパー外しにトルクスヘッドが必要だったり、ドレンワッシャーが妙に高かったりする。だけど、各パーツが比較的整備しやすい場所に配置されていて故障が少ない。

何をするにしても手放しでも重荷でもない。嫌にはならない手こずりと、疲れる程ではない手応えを感じながら時を過ごせる。それがちょうどいいのだ。

なんだかんだ言って、辿っていけば書くことはあった。

1年後のオレが「何をあたりめえなことを」と思うかもしれないが、今はこれが新たな発見だったり再認識だから優しく見守って欲しい。

そして今目を通してる人は「へーそうなんだ、自分のバイクはどうかな?」と振り返るも良し。「ほう、R25って面白いな。ちょっと乗ってみようかな?」と価値観の幅を広げるも良し。まあその他でも、前向きになれれば良し!

 

ぶっちゃけ公共に則って楽しく乗れれば、どうだって何だって良いんだよね。

7年乗ったからって大したことではない。見える景色が違うだけで、R25本来の楽しさは1年目とそう変わらないことに記事制作を通して気付いた。

だから今では自分に他のバイクへの味変も良いと推せるし、手持ちのバイクを突き詰めるも良いと推せる。

R25から離れてもくっついても、己の行動に肯定が出来るようなった。健康的だ。

マンネリして飽きるかと思ったら、しっかり物を見据えられることの出来た1年だった。