R25と4年も

4年、それは1500日くらい。なっが。

よくもまあ乗り換えなかったよ。2,3年しないうちに大型バイクの下取りになることが多いクラスのバイクだけど、不思議と手放そうとは思わなかったんだよな。

これはR25が持つ乗り物としての能力が、オレにしっくりきているとしか言いようがない。

 絶対的なスピードでも、目が輝くほどの高級感でもなく、圧倒的な存在感でもなく・・言い方は悪いけど、そこらへんにワラワラ居て、コンパクトカーよりすばしっこくて左右の切り返しもスッパスパ、そのうえ色合い装いも突飛じゃない。でも少しカッコいい。そんなバイクだから良いのかもしれない。

オレにとって気軽に楽しく十二分、イヤ十一分な存在だから、バイクに対して親しみと敬意を持ち続けられるのだと思っている。この絶妙なバランスを内包しているバイクが他にあるのかと、若干強気になるほどR25を信頼もしている。

とは言いつつ正直な話、大型に乗り換えようと思った時は掃いて捨てるほどあって、MT-09やV-strom650、S1000Rなどなど特別重くなくメチャクチャ速いバイクに乗るたびに「どうすっかなー」と悩んでいたのは事実だ。

でも、それらのバイクに乗った帰りにR25に乗ると「コッチのが良いな」って毎回なるんだから不思議なもので、これはもうR25の色んな部分が「合ってる」としか思えない。

それにこの組み合わせだと、オレとバイクのお互いにどこか足りなさもある。例えば追い越し加速、Uターン、大型バイクと一緒に居るときの何とも表せない空間。こう並べると不満があるように見えるが、実はその逆でもある。

足りないことが多いって事は、乗り越えた時の喜びが多いとも取れる。それでも足りなかったときがあっても、そのことを受け止め許し合える優しさも生まれる。

「鋭く加速をするならギアを2段落として・・こうか!」とか「ココなんだかなぁ・・でもまあしょうがねえよな。」など、車体に適度なスキがあるからこそ、自分が入り込める。バイクを通じてライダーとしての何かを学び、人間としての何かを見つめ直していける。

これらはオレにとってとても魅力的な体験だから、絶対に自ら手放したくない。性能やカッコとか「外側」も大切な要素ではあるけど、それ以上に「内側」へと何かを問いかけ、そのアンサーにも等身大クラスで応えてくれるのがR25の1番凄いところだ。

そんな非常に大切な内側の部分、実はバランスをとるのが結構難しく、他の、例えば大型バイクとかだと互いのラリーが薄くてもライディングとして成立する範囲が広すぎるし、原2くらいだと逆に範囲が狭く、事務的になってしまう物事がしばしばある。まあこれに関してはオレ自身の錬度不足も問題であって、もちろん乗り手の技量が高ければこんなこと何でもないんだろうけどね・・でも誰しもが上手なライダーではないワケで。

巷ではよく「バイクは250ccくらいが良い!」という話は良く聞くけど、それは日本の交通事情におけるコストパフォーマンスよりも、双方の対話の豊富さと話題の切り出しやすさに惹かれて生まれた言葉じゃないかなとオレは感じている。

つまり上手い人でも下手な人でもバイクを楽しみやすい排気量、それが250ccなんじゃないかと。

・・だいぶ話は脱線はしたけど250cc、少なくともR25って本当に凄いバイクなんですよ。

始まりは「そこらの車より少し速くて、何かと軽いバイク」だったけど、今や生活において大きな存在。別段バイクの知識があるワケでもない、4年という時だけではない、自分なりにR25に対して真剣に向き合ってみたからこそ見えてきたもの、イヤ見せてくれたものだと思う。

こう振り返ると、もしかしたら他の同排気量クラスでも体験出来ることかもしれない。でもオレが確実に言えるのは「R25で見えるバイクの世界」は非常に素晴らしいものだということ。

しかし、これらはあくまでもオレの例であって、人によっては50ccでもリッターオーバーでも何かを強く感じることもあるだろう。

だからもしこの記事を読んでいる奇特な人は、いま一度手元に有る無しに関わらず、バイクに対してもう一歩踏み込んでみるのも良いかもしれない。そうすればきっと、これから過ごし合う時間が楽しくなるだろうからさ。

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凄いバイク、R25の写真。

沢山の楽しい思い出や心の引っ掛かり、それらを全て飲み込もうと思えたバイクに早く出会えたのはとても幸運だ。

しかし手を掛ければ掛けるほど新しい価値感が生まれていくな・・面白いな、バイクって。全然やめらんねえや。