バイク、雑に乗ってない?

先日、図書館でとある本を借りたのよ。

それがまあ内容が面白くて面白くて、時間も環境音も頭に浮かんだ思考も気にならなくなるくらい、集中して本に向き合ってたんだ。

 そして読後に思った。「この感覚をバイクに置き換えられたら何と面白いことになるだろうか」と。

 

他の人は知らないけど、意外とバイクに乗ってる時って「あっ、昨日あんなことで失敗したけど、ああすれば上手く進みそう」とか「きっと今日行く所は綺麗なんだろうな」とか、過去の振り返りや未来への展望をしていることがあるのよね。

それは別に悪いことでは無いんだけど…バイクに乗ってる今というか現在に強く意識が通ってなくて、「楽しいなバイクって」とは思いつつ乗ってる時間を俯瞰で見たら「瞬間瞬間の輝きがおざなり」になってないかと思っちゃったんだ。

発進、加速、巡航、減速、右左折、停止。それらをその場その場で丁寧に堪能してるのかな?って考え直したら、フルではないなと。どこかで違うベクトルの思考なり見通しを立てたりして、せっかくの高い純度を自分から濁してるなと。

以前のブログでもバイクに対して色んな迷い方をした。飽きてるのは過ごしてきた時間じゃなくて自分の中身の問題なんじゃないか、界隈の常識に飲み込まれて心の内側からポジティブな気持ちが溢れてるのか、とかね。

それら全部に少しだけ晴れ間が差してきた。その方法が、

 

バイクを夢中に走らせて楽しむ

 

ということ。それだったんだ。

背負ってること、目論んでること、内省していること。自分を覆ってる良し悪しを全て玄関に置いてきて、心身が極めてクリアでニュートラルな状態でバイクで遊ぶ。

途中で何かがハッと浮かんできても、風船を作るように何かに吹き込み身体のどこかに一旦吊るして、内側に溜め込んだり深掘りしない。

とにかく手足が触れた感触、身体を通り抜ける空気や香り、シールド越しに広がる生活の景色と音に意識を傾けて乗る。

するとたかが1時間の行程でも以前とは頭に刻まれた記憶の切り取りの多さが違う。

部分的ではあるが頭の中でストリートビューが出来るくらい走ってきた情景が細かく、鮮明になっていた。

とまあ、こんな良いことづくめではあったんだけど、いくつか問題点が出て。

 

まず、写真がねえ。景色を目で堪能してるからカメラが二の次になる。頭にはあるんだけど、ブログとかではどうにも説明もお裾分けも出来ない。

そしてケータイを触らねえ。スマホカメラもそうだけど、何か有ったり起こったりしても自分の中で感動したり驚いたりして完結してるから心の動きがSNSまで到達しない。

ブログとSNSやってる身としては本当に酷いムーブだと思う。だって何したって何のネタにもならないんだもん。でも、1個人としてはスゴく充実しているという相反っぷり。

まあココの同調具合や落とし所はこれから繰り返して心地良い部分を探すとして、他の人はどうバイクに取り組んでるのかも気になるね。

割りきってるのか、曖昧にしてるのか、それとも他の何かなのか。

自分の中である程度練り上がったら、誰かしらにそれとなく聴いてみようと思う。これから人と会うのも、練るのも楽しみだ。