R25と8年

しつこいと。もう語ることも無いだろうと。

これがさ、有るんだよな。長く付き合ってないと分からない何かが。まあそれを今回言っていくんだけど、内容が内容なんだよね。

年々追うごとに見てる人のほとんどはピンとこないというか。逆に言えば何かを長年オーナーしている人は「あぁ、そうそう」的な意見が生まれるのかもしれない、たぶん。

 まあ前置きはそこそこにして本題だけども…飽きない。

大切なことだからもう一度言う。飽きない。

言い換えるならば、丁度良い。というか、楽しい。

カスタムで手を加えるなんて角度もあるが、俺が1番思うのが何よりスピード感ね。そこら辺のアスファルトを流してる時が一番心地良い。そして楽しい。

トップギア6速でパワーデリバリーが緩やかな低回転域を使いながらトコトコと途方もない田舎道の穏やかさに身を任せるも合うし、3速中回転域で少しメリハリ効かせてバイパスや登り坂をスパッスパッと駆けるのも合う。

奥歯を薄く噛むような手応えも、鼓動を味わうような安楽も手足の動き2つ3つで引き出せる。それも公道で。これってライトユーザーにとってはかなり魅力的なモノなんだよね。

「おおっ」と思える快楽を感じるフィールドが手前にあるから、ぶっちゃけスーパーやら市役所やら病院行くのも面白くなる。

極端な話だが他のバイク、50ccスクーターでも1800ccアメリカンでもそれは出来る…んだけど、機動性とかアクション性とか利便性を考えると「面白くてイヤにならない」絶妙な所をR25は突いてる。同じ道でも出来ると面白いは違うもんね。

…とまあ今回は、それだけなんだ。

実は何かR25に関して色々と書いたり書こうと思ったことはあるんだけど、全体としての噛み合わせが悪くて編集ページを見るたびに「アレ、書くのか…」と滅入ることが多くて。

だからそこで止めた。前置きとのチグハグ具合も多分ソレだ。その代わりと言っては何だが、長年同じバイクに乗って気付いた事を少しだけ。


8年。そろそろバイクを替えて新しい切り口に挑戦してみることも良いのかもしれない。でも、新しさという魅力をバイク本体でしか感じられないような身体じゃ、生きてる内に何台乗れる?なんてハナシにもなる。

夢の話として、YZF-R1乗って、v-strom650乗って、Streetfighter V4乗って、BONNEVILLE T120乗って。もしそれらが叶ったとしてもその頃にはどうなってる?

何を知り、何を懐に納めてると考えたら「欲望の赴くままにつまみ食いをした」としか考えられなかった。

もちろん高価で貴重な乗り物を所有することで、自己肯定の仕方を養ったり、他へのセルフプロモーションにもなるが、正直俺には必要ない。

他人への見せ掛けの為に数百万を使ったりするのがアホらしいし、物に頼らずとも考え方で自分を認めてあげることは出来る。

そしてブログやSNSを開くと、大半が時を経るごとに高性能なバイクに手を掛けてる現場を見かけるだろう。

ステップアップ、憧れの、なんて大々的な名目が光輝くが、果たしてそれは誰しもが持ってるモノだろうか。俺には無い。

よくよく「自分が思うありがたさ」と「大体が思ってるありがたさ」を見極めておかないと、集団意識の波に飲まれて自分の気持ちの身動きが窮屈になることは必至だ。

「ああじゃなきゃいけない」「こうじゃなきゃ」という決めつけは公道において9割近く必要ない。然るべき免許を持って、ヘルメット被って、バイクを動かせれば、後は自分の自由だ。

それだけおおらかな存在を捕まえて、何に乗った、何キロも乗った、何かにつけてバイクが放つ外側ばかりを舐めては手放す。最後の後味がそれで良いワケがない。

「素晴らしい乗り物だった」

そう思ってR25、ひいてはバイクのある生活を終えたい。

だから納得がいくまで手元に置いておこうと。

そう思えた8年だった。

 

急で雑だけど、おわり。