さらばバイク熱中時代

先日、5年前のツーリングマップルが発掘された。

おもむろに1枚めくると関東全体の地図がマス目に区切られていて、それぞれの四角に番号が振られていた。中には赤いボールペンでマークされているのもあり…というか半分くらいマークされていた。

この頃はよっぽど色んな所へ行きたかったんだろう。知らない場所、知らないモノ、知らない道。マークされていた番号のページにはそう思わせるほど赤い線や丸が多かった。 

 

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振り返ってみればあの頃は何もかもが楽しかった。

目的地を決めれば退屈な道中でも何とも思わなかった。

バイク買い始めなんかは目的が無くても近所を走ってるだけで幸せだった。

じきにバイクに慣れ、線や丸にチェックマークが付くようになり、赤く塗りつぶして塗りつぶして、挙げ句の果てには新たな何かを欲して日本全体まで手に掛けた。

そして残ったのは沢山の思い出と、それに反比例されたバイクの存在意義。

常に楽しさ求めて道を進んできたけど、分からない土地にワクワクしてた熱中時代と経験を積んですっかり落ち着いてしまった時代のどっちが「遊び」として面白いのか分からなくなっていた。

趣味として、行きたい所へ行きたい。それだけで考えれば圧倒的に後者なんだが、毎日ハリのある生活がしたいなら前者だ。

しかし、熱があっても未開の地が満足に開拓されないとそれはコンプレックスに変わるし、経験を積んで落ち着く人間がこれ以上留まると30にもならないうちにヤリ場の無い欲求不満に任せてバイクを手放す、なんてことも考えられる。どちらも一長一短だ。

もうこの2択には魅力を感じない。なので第3の手としてバイクに乗るステージを変えてみた。

まずサーキットを試した。スピードもコーナリングも公道とケタ違いに懐が深いが、時間で区切られていているのがどうにも不完全燃焼だった。やりたい時にやれるのがどうやら性に合ってるらしい。

次は他の趣味と混ぜてみた。

釣りや登山の移動にバイクを使ってみた。趣味間の切り替えが上手く行かなかった。ゆっくり何時間もかけるモノとハイスピードで駆け抜けるモノを繋ぎ止められる器用なスイッチは持ってなかったようだ。

 

そんな上手くいかない数年経ち「バイク手放すか…?」と最近まで本気でライダー引退の6文字が頭をよぎってたが、ツーリングマップルをひと通り読んでふと気付いた。

「もうバイクは趣味じゃなくていいや」と。

しばらく素直にやって来てたんだし、いまさら気持ちに逆らわなくてもいいかと。

日に日に退屈にはなってるけど、休日が絶対に非現実的や未曾有である必要なんか無い。刺激的じゃなくても週5,6日で浸ってる社会と一時的にクラッチが切れれば良いだけ、今までバイクに背負わせた前提を見直そうと考えた。

理想はバイクのある日常、電車やクルマ同然にしてしまおうと考えている。面白いけど特別感をださず、あくまでも生活と地続きであること。

バイクが嫌いなワケではない、でも一緒に過ごす時間がマンネリ化して気持ちが萎えてるならマンネリ前提の存在にすればいい。萎えてて上等、楽しけりゃラッキー、数年の悩みが簡単に解決した。

ひと言で言うなら「それバイクじゃなくても良くない?」や「絶対にバイクだろ」を「電車でもバイクでもいいか」までお互いの高さを揃える、といったところだろうか。

 

近所のお茶屋に行くだけでも、出勤の日に乗って朝露や工場夜景を眺めるのも良い、もちろん何かの為に県外へ繰り出しても良い。

普段にバイクが混ざることで毎日が少し変わりそうな気がしてきそうな夜だった。