グロムと7年

コレだけ所有してればずいぶん言うことが…称賛も文句も出てこないモノだという事が分かった1年だった。

多少何かあっても「まあしょうがないよネ〜」的なお気楽具合だ。期待も諦めもない、極めてニュートラルなマインドになると言いますかね。

確かに振り返ればグロム、というよりオートバイに対しての考え方もずいぶん贅肉が取れてきた感触はある。

まあその、走って停まって曲がって壊れなければ大体面白いじゃんって。

厳密に区別すると50ccだと制限速度メンドクセとか、大型エンジンだと夏あちぃとかあるけど、「外車じゃなきゃヤダヤダ〜」とか「スクーターとかバイクじゃねえし」とかを筆頭とした自分で自分を狭めて可能性を潰してる愚かな思考はどんどん無くなっていった。

つまるところ、バイクで何がしてえんだ?ってシンプルな問答ではあるんだけどね。身の周りや自分の社会的ポジションに極力振り回されずに思考し選択するのは結構大変だった。

いや、大変でも無かったな。1番社会的で便利でミニマムで簡略の無い存在と付き合えばいいんだから。それがグロムだったと。

交通の流れに乗れる、邪魔じゃない、うるさくさい、車体もパワートレインも小さい、運転操作の基本が出来る。完璧だな。

で、そんなスターターキットみたいなバイクに乗ってると結構な割合で「なんだ面白いじゃん」ってなるワケ。

それから乗って乗って乘りまくると「このバイク良いじゃん」から「じゃあオレが必要と思ってるアレ、そんなに要らなくね?」から「んなもん自分の身1つでどうにかするわ!」と心に江戸っ子を宿しちゃうの。他の人は知らないけど、オレはそうだった。

乗れば乗るほど景色や場所などの自分より外側より、思考や想像など自分より内側の新しさに出会えるから、スゴく新鮮で刺激的なんだよね。

大方の人はバイクに乗るという行為は脳内に日本地図を浮かべて利き手で大切にマークしていくみたいなイメージだと思うけど、オレみたいな体験をすると地図を片手にもう一つの手で違う何かに触れるという選択が浮かんでくるのよ。

内と外、大きく2つの楽しみがあるからバイクに乗ってれば何か楽しい。バイクに乗る自分自身が楽しいから、バイクだけに期待せずとも大切な部分が左右されない。その空間の外周で存在する多少の難しさやトラブルや不安が訪れても、以前より自分が揺さぶられないと。

 

…なんか坊さんみたいな話なってるからまとめるわ。

「あぁ、なんか最近ツーリングつまんねえな…」

「バイク乗りだからあれもこれもするべきかな?」

「社会としての自分から離れた〜い!ありのままでいた〜い!」

といった人は乗れば良いんじゃないですかね。

効果は未知数、保証はしない、個人の感想、ではあるけども。