YZF-R25に乗って3年

このまえの記事を書いてから数日前、いつもお世話になってるバイク屋さんから3年点検の通知ハガキが送られてきた。

3年。250ccより大排気量の新車なら車検だったりと、バイクに対する1つの大きな区切りの時期だ。そう考えたとき、ふと今まで乗ってきたR25について何かが溢れてきて、それを記事にしたいとオレは思った。

と、思ったまではいいが、コレが今まで以上に制作が進まない。そもそものR25への気持ちが強いから、言葉1つ取っても「こうじゃねえんだよな」とか「ああじゃねえな」とか言いながら文字を打っては消したりの繰り返し。

末には間違えて記事を丸ごと消しちゃって「うわっ!あーあ、もういいやメンドクサ」ってなりながらも、次の日には新しく書き始めたりと完成は困難を極め・・・まあそんな裏話はいいか。

しかしあれから3年ねぇ3年。人間なら中1が高1、高1が大1、大1が大4だもんな・・・そう考えると長いんだか短いんだか、楽しいんだか辛かったんだか良く分かんねえ時間を過ごしたな。何せ色々あったし。

今回はそんな思い出いっぱいのR25について「ココ良いんじゃねえの!」とか「ココどうなのよ?」とか、とにかく思ったことをバリバリの主観でダラダラと書いていこうと思う。

まずエンジン。1にエンジン、2にエンジンですよ。本当にスゴイぜこのエンジン。

何がスゴイって、どっちでも走れるのよ、スポーティーにもツアラーみたいにも。分かりやすく数字で言うと、7000rpmから上か下を使うかで印象がまるで違う。

上の部分はアクセルを捻れば捻るほど「加速感」が湧き出てくるような印象。小排気量にありがちな少ないパワーをどうにか絞り出しているとか、逆にトルク感が強くて後ろから蹴っ飛ばされる感覚とかそういうのじゃない。

3、4速までギアを変速しながら右手が千切れそうになるくらい思いっきり開ける。そうするとレーシーな甲高いマフラー音と共にアナログ針の回転計がレッドゾーンまで鋭く伸びていって、車体に少し頼りなさを感じながら100km/hへの到達。

決してバイク全体の中では速い方ではないけど、目や耳、腕や足などの全身で刺激的かつ飽きの来ない「加速感」を長く味わうなら、このバイクが1番楽しく味わえるとオレは思う。公道でもそのゾーンまで引き出しやすいし、パワーの境界線がハッキリしていて分かりやすいし。

じゃあ下の部分。これだけ上がスゴいテイストだったら、それ以下の回転数はスッカスカで使いモンにならないのかと言われると、そんなことはない。とにかく扱いやすくて優しいのよ、ここら辺のパワーは!

緩やかに出力が立ち上がって、落ち着いて下り始める。1分1秒を争うサーキットで使うならあまり必要ない部分なのかもしれないけど、ツーリングの場合は非常に重宝するんだなコレが!

例えば高回転域のようなレスポンスの良いフィーリングだけのバイクだと、加速や減速のパンチが効いてて楽しいんだけど、一定の速度に制御するのが中々難しい。

だってそうでしょう。少しでもアクセルを開けようもんなら、すぐスピードが乗っちゃうし、少しでも閉めようもんなら強くエンジンブレーキが働いてしまう。1回でもやったことある人なら分かると思うけど、ツーリングというのは長時間、しかも同じような速度域で走るケースなんて山ほどある。

そんな最中で出力を保とうとアクセルワークばかり気を使っていたら、そのバイクに余程の愛情が無い限り、必要以上に疲れちゃって、バイクに乗ること自体の楽しみが遠のいていく気がするんだよなぁ。

それなら言い方が悪いけど、ダラッとした加減速帯の中でライダーが「ここら辺まで開けとけば60km/hくらいだろ」とか「100km/hならこれくらいだな」とか、エキサイトな面は少なくてもパワーの見当を探りやすいバイクの方が、ツーリングユースにおいては重要なんじゃないかなと。そしてその部分で100km/h近くまでカバーしながら走れるR25って素晴らしいバイクなんじゃないのかとオレは思うワケですよ。

何でこんなに誰も書かないようなワケ分かんない部分ばかりを書き飛ばしているかというと、このR25を話題にする上でほとんどの人が最高出力ばかりに気を取られちゃってる気がして、オーナーとしては複雑な印象だったりするのよ。本当は他にも良い所は沢山あるんだぞと。

それにバイク乗りは大体が真面目だから、R25を知るに当たってスペック表やインプレ動画や記事を見たりして「あぁ、このバイクは高回転域で走るのが良さそうだな」とばかり考えてしまう人が多くなりそうで、オレ的にはヒジョーにもったいなく感じる。良い意味でダラっとしたあの部分はもっとスポットライトが当たってもいいと、オレは声を大にして言いたいね!・・・まあブログだから実際は書いてるんだけどさ。

でもホントあの穏やかさったら、もう母ちゃんですよ母ちゃん。「いいのいいの、肩肘張って目を三角にして走らなくたっていいじゃない。ツーリングはこれからなんだから、力抜いて気楽に行きな!」って言われているような優しいパワーの感触。

そしたらライダーも「そうだよな、バイクってそうでもあるよな、ありがとう母ちゃん。オレ何か大切なことを忘れてたよ・・・」ってなるから。実はみんなが思っている以上にR25は優しいバイクなんすよ。

優しいついでに言うと、操作系も優しいのよ。特にクラッチバーの引き離しが軽くて軽くて。ヤマハの人がどういう思いで軽くしたのかは定かではないけど、オレが思うに「握力が有る人も少ない人も、たくさんシフトチェンジ出来るようにしてMT特有の楽しさを知ってほしい!」というメッセージが込められているに違いない。

来るものを拒むことをせず、誰でも受け入れてくれる。なんかカッコイイじゃないかR25・・

 

次にサスペンションだ。前が正立式で後ろはリンク無しのモノサス。スポーツモデルと言ったら倒立フォークにリンクサスが定番だが、いったい何故それらを採用しなかったのか。YZFの名が付いているにも関わらず。

でもそれは逆に、今の技術なら出来ないことはないハズなのに、あえて見送ったのにはきっと大きなワケがある、とも考えられる。

これも飽くまで仮説だが、まず技術者同士で「倒立やリンクサスは今の250ccに必要か?」と考えたんじゃないかとオレは踏んでいる。その後プロトタイプを作り、テストライダー的な人に試験させても「正立にリンクレスでも全然面白いじゃないっすか」なーんて話しがあった結果があの構成なのかなと。質実剛健、それで必要充分だと。

そりゃもちろんバイクを見た目で買う人だって中には居る。倒立フォークかっこいいし。それに「あのYZFがニーゴーで出る!」なんて聞いたら、兄貴分のR1やR6を基準に考えちゃうよ。

でも多分そんなことは技術者だって百も承知だ。それでもYZF特有のカラーを出しながら、その伝統だけに全てを飲み込まれない、R25のみが持つ素朴で素直になれるキャラクターも押していきたかったのではないか?とオレは勝手に想像している。

正直難しかったと思うよ、血統が濃い家系の中で独自の主張をするのは。でも逆にファミリーと装備も何もそっくりそのまま作ったら「なんだよ、これならR1とかR6で良いじゃん」って言われかねないしさ。そう考えるとバイクを造る人ってホント凄いよね。

それともう1つの理由として、R25より先に発売された同じクラスのスポーツモデルの存在があると思う。R25と同じようなサスの構成だけど、フツーに売れてた。だから余計に「この時代にホントに要るか?」ってなったんだろうね当時は。 ちなみに来年のモデルからは倒立フォークが採用されるらしいけど、そのことを書いたら今回の趣旨がブレそうなので、それはまた別の話で。

 

あとは・・ライディングポジションか。とにかく楽だ。ハンドル位置はそんなに低くないし、シートの位置も取り立てて高くない。ステップも後ろ過ぎず前過ぎず。「オレでツーリングするのも楽しいけど、たまにはスポーティーな走りも出来るんだぜ?」そういうメッセージが込められてそうなポジションだ。

そもそもR25のコンセプトが「毎日乗れるスーパーバイク」だ。スーパースポーツではなく、スーパーバイクだ。R1R6のようにサーキットで勝つ為だけではなく、通勤通学や、そこらへんの公道を元気に走り回りやすくもした、高いバランスの中でギリギリ保たれているバイクなんだと思う。

それならエンジンのパワー特性も納得出来るし、サスや車体の構成もそうだ。様々な走行シーンをカバーするとなると、何かに一辺倒な性能じゃ「毎日乗る」ことは難しい。そのうえ、ただ性能をキレイに均すだけではとても「スーパーバイク」とは言えない。スーパーなバイクなんだから、それぞれの要素に高いポテンシャルが潜められてることも重要だ。

その証拠として、このバイクをベースにハンドルステップを社外品に変えて、レースの最前線で活躍している人も居れば、オレみたいに快適ツアラー仕様にして日本中走り回る人だって居る。

ライダー次第で何にでもなれるし、どうにでもなれる。それがスーパーバイク、YZF-R25なのだとオレはこの3年で感じた。

 

正直、3年前に何となく買ったバイクがここまでスゴいバイクだとは思わなかったな・・・ある時期は新しいバイクに乗り換えようかなと思ってたけど、踏みとどまって良かった。まだまだR25には教えてもらわなくちゃいけないことがあるし、これからも課題や楽しさが出てくると思うと、中々手放せないよ。いやぁ、飽きねえ飽きねえ。

あ、もしや「毎日乗れる」ってそういう意味も?底が深いなこのバイク・・・いやそんなワケないか。

3年乗っててもイマイチ分かってないまま、おしまい。