ブログは更新しなくてもいいんじゃないか?

今の状態から言うと、しばらくはブログの更新頻度は減ります。

忙しいワケでも日々がつまんないってワケでもないから、自分でも何でだろうなと思ってたんだけど、最近やっと理由がちょっと見えてきたのよ。じゃ折角だから伝えようかと。数少ない読者にでもと。

で、今しがた見直して見たけども、まあ長い。ヒマじゃない人はここまで、理由あって新規の更新は減ります。それだけの話。

それ以外のヒマな人とか、少しでも「何でよ?」って思った人はこっから下の文を見れば良いんじゃないですかね。時間返せと言われても保証しないけど。

オレがブログ書く上でさ、「何かした事に対して自分がどう変わったか」の優先順位がまあ高いのよ。例えば新しい1000ccのバイクに1日乗りました、とても速くてデザインがカッコ良かった。もちろんそれは事実なんだけど、それじゃどうにも自分自身で納得いかないのね。

同じ速さでもアクセル開け初めからドカンと来るのか、ハーフスロットル以下はボヤけてるとか、自分の引き出しひっくり返しながら色々仕組みを探って、その経験を手持ちのバイクにどう反映させるか、それと今までの積み重ねと未体験がぶつかったときのギャップを言語化する楽しみをココに書いてるようなもので、よくある説明口調で俯瞰的な物言いがどうにも出来ないのね。

そういうのがみんな好きなのは他の人のブログ見て薄々気付いてるけどさ、正直スペック表見ても156馬力/10000rpmが肌感覚でどんなだか分かんねえし、アルミだの鍛造だの素材を比べても乗り味の違いは分かんねえし、レーサー直系とかバックボーン聞いてもライダー各々の性質がパチンと変わるワケじゃないと思っているから、オレは書くのを極力避けてる。道楽のときまで分かったフリはしたくないし。

だから実際乗ってどうだったんだ、曲がって停まったとき何を感じたかの面白さが重要であり軸になってて、それが無いと書く気も起きない……というのが現在進行形で続いている。

そんなものだから「ワクワクしないから新規の更新はなぁ」と思ってたけど、よくよく生活を振り返ると相応に充実してるのよね。もちろんその中には面白いもあるし、バイクもクルマもある。

「じゃあなんで筆が進まないのかな」と考えて1度自他共にブログなりSNSなりを見直したのよ。そしたらば、あーなるほどなと。幸せの量がカギの1つなんだなと。

 

最初に言っちゃうと、程よく充実した生活をしてるからブログが書けないし、書かないのが自然になったってこと。

これ以下の便宜上言葉を変換するなれば、100%の幸せが多かった。そうなると、その場その場が楽しくて発信どころじゃなくなるの。例えば久しぶりに会った友達と気兼ねなく時間を過ごすとして、触れ合うその1秒1秒が貴重だから他に気がいく隙間が無い。

この次は何だ、さっきのは面白かったな、畳み掛けるようなキラキラを前にしたら「いつでも出来ること」は全て霞んでいく。いわゆる没頭ってヤツだな。

逆に言えばそれ以外は「いつでも出来ること」が付け入るスキがあるってことにもなる。80%の幸せとかね。

楽しいんだけどイマイチ確信が持てないとか、期待値を少し下回ったって時は思い出を100%にしたくなり何かで穴埋めするのが人間の性。

そういう時に他人に向かって吐き出す、または認めて貰うことが手っ取り早い方法っぽいんだよね。

他人から「そうなんだね~」「スゴイね~」って証拠があれば勝手に自分の荷物を背負ってくれてる感があって大概気が楽になるんだよね。

特にSNSなんかうってつけ。有名人でもない限り何らかの繋がりで結ばれた人間しかその場に居ず、基本的に悪く思う人は少ないから、言い方悪いけどやりたい放題だし。

それと120%の幸せってのもあって、今まで受けたこと無い大きな幸せに出会うと自分で抱えきれなくて、誰かにお裾分け又は見せびらかしちゃうってパターンもある。

久しぶりの恋愛、欲しかったモノの購入、行きたかった場所への到達、好きなメディアの触れ終わり。

他人が冷静に見れば大概「だから何だよ」と思われるかもしれない発信。それでも抑えられない情熱的な心の動き。

聞いてくれ、カッコいいんだよ、綺麗なんだよ、面白いんだよ。狙い定めた共有や共感をスッ飛ばして、燃え上がった気持ちの余りを言語でぶつけるやり方。ブログもSNSも腕が鳴ること鳴ること大回し。

80でも120でもなく、大きく落ち込んでるワケでもない。自分の中での気持ちの分量を知りつつ自給自足も行き届いてるから、共感や称賛などの外的供給の価値が薄れてきてる。ならモノ書けないのも仕方ねーかと。

そりゃお金が絡んでたら話は違うけど、ライターでもアンバサダーでもないオレが「書けない書けないネタが無い」なんてもがいてるのも変だと思えたし、今回の経験は物事の見え方や気の持ち方に大きく影響した。

でも、いつまでも100で居られないのが人間というもの。また80でも110にでもなったら、無理なくブログなりどこかで思いを綴ろうと思う。

書けないことは悪いことじゃない、でも書くことも悪いことじゃない。そしてオレは幸せを中心に生活していたこと。それらを知ることが出来た良い機会だった。