グロムと5年

あれからもう5年か。オドメーターが指すは1万キロちょっと。

そう、例によって今回も数字と照らし合わせれば付き合いが悪いと言えるが、その代わりに目に見えなくても、何なら触れなくても気持ちを素直に通わせることが出来るようになった。

「どうせなら」と食い意地張らなくていい、「せっかくだから」と勿体ぶらなくていい、「経済的だから」とそろばん弾いて理詰めにならなくていい。

本当に乗りたい時に乗る。その純粋さの価値を認識した1年だった。大変だった……抜け出すまでが。

 

オレにとってバスや電車、クルマより特別感の強い移動手段であるバイク。希少であり特別な休みの日をより輝かせるのにピッタリだった。

そのピッタリと思った、思いすぎたのが良くなかった。気持ちが動いてバイクを選んだのなら良いが、面白かった過去の栄光にすがってそれをすっ飛ばして反射的に選んでしまっていた。

もうね、同じ晴れの日に「こんな時に乗ったら気持ちいいだろうからツーリングしよ」と「休みの晴れ、じゃあバイクに乗ろう」では行動が同じでも感じるモノが全然違うわ。

行きたい所も、走りたいと思う道も決まってないのに乗るのはダメだね。今までが良かったからとバイク自体に期待を込めるのも的外れ。

楽しいのはバイクじゃない。バイクに乗りたいと思って乗った気持ちだ。動機が整えば手順はクルマでも歩きでも楽しいことには変わり無い。一つ覚えに色が強い物だけを選んで自身を染めようとも、心が輝けなければ日々の充実とは程遠い。

f:id:primarycell:20220410152719j:plain

……ということをグロムが教えてくれた。付き合いが1番長いR25でも、距離が遠いエブリイでもなく。

そうなるのもあのバイクが乗り味が素朴で、空白が極限まで削ぎ落とされてて誤魔化しが効かないからだ。

ライディングは以前判明したけど、まさかメンタル面でも容赦がなかったとは。何となく乗れば何となく、激しく乗れば激しく、穏やかに乗れば穏やかに。まるで写し鏡のような乗り物だったから気付いたものだ。

それもつい最近の発覚。寒さや体調不良が重なり数ヶ月バイクを考えてから乗る時期があっての偶然とも言える産物だ。

f:id:primarycell:20220410152826j:plain

時間は沢山あっても乗れない日、少ししか時間が無くても乗った日など色々な心境や状態を経験した。

そして分かった。乗れることより乗りたい乗りたくないの気持ちが叶うことの価値に。

ツーリングは距離でもなく、場所でもなく、時間曜日人数でもなく、こころ。

欲を出さず、無茶をせず、打算的にならず、素直にバイクとの時間を噛みしめ消化する。それが健康的で持続的な(趣味:バイク)だと結論付けた。だからもうお互いの距離や居場所とか関係無くなった。どんな状況でも平気だ。

f:id:primarycell:20220410152928j:plain

今回はいつもと違う毛色になったけど、本当に感じた話だから仕方ない。内容も華々しくもなく、書き写せば当たり前のこと。しかしそれがどれだけ大切かは体験した人にしか分からない。

なので今見て「なるほどね」というよりか、これからオレと同じような壁にぶち当たった時のモヤモヤを「もしやコレなんじゃね?」と仮定することが出来る、遠回り気味な文章になった。

でもそれもこれっきりよ。というか、もう気の迷いも無くなったから書けないと思う。

こんな風に5年連れ添ってようやく分かることだってある、これだからバイク生活は止められない。これからも楽しみだ。