脱いだヘルメットはミラーに掛けんな

それはオレにとってのポリシーだからだ。数少ないけど。

先に言っておくが他人がやってる分には何とも思わない。というか自分のじゃないので非常にどうでもいい。

 で、何でそうなのかってハナシだけど、単純に内装が痛むからだ。折角数万円払って頭を守りにいってるのに「めんどくせえや」の精神で自らその効果を薄めさせるのは愚の骨頂だと思っている。

これはヘルメットを気分をアゲるモノとかコーディネートの一部じゃなく、単に安全快適の道具と思っているからだ。

もし読んでる人との何かしらの認識違いがあったらこれから話すことも「ハァ?なんのこっちゃ」状態だろう。

 

…認識の擦り合わせもそこそこに続けさせて貰うと、潜在意識とは細部まで渡り表れると、どこかしらかで良く言われる。つまり逆に言えば細部まで拘れば意識を変えられるということにもなる。

ちなみに普段のオレはとてつもなくだらしない。ジャージとおにぎりが大好きという点からもダメ人間感の芳しさが出てるだろう。

でも、オートバイにまつわる身の回りには気を付けている。それは自他の命に関わることだからだ。

一瞬の隙が死を、1つの綻びが何かを殺める。その先で誰かが悲しむならそれは何としてでも対策するべきだ。

それならオートバイに乗らなければ良いというリターンもあるが、人間が外に出る以上死のリスクは少なからずあり、何もオートバイに限った事ではない。問題は人生を楽しみながらリスクをしっかり見つめていかに小さくしていくか、それに尽きる。

そのための意識改革の1つとして頭を大切にしよう、ヘルメットの機能は損なわないようにしようからのミラー掛け厳禁が生まれたと。

正直なところ別に掛けたとて、そもそも事故らなければ痛くも痒くもないし、ミラー掛けしてるバイクの写真はワイルドに映ってカッコいい。行為自体には限りなく意味が無いと言えば無い。

しかし、オレは掛けないことによってヘルメットを被る度に「ここまでしっかりしたんだから、次降りるまでしっかり防ぐべきを防ごう」という意識が強く出るのだ。その1つの心掛けがとても大切なのだ。

 

といった具合でこまけえ話になったけどいかがだっただろうか。

もっと細かい話をするとガソリンスタンドでバイクの写真は撮らない。少しでも爆発のリスクがあるなら見映えなんかクソくらえだ。もちろん他人はどうでもいいけど。

いかに安全に楽しく快活なバイクライフを過ごすか、その軸さえブレなければ歳がいくつになってもカルチャーと共存することが出来る。こんな幸せは中々ない。

そんなずっと幸せでありたい男がする少しばかりの意識の話でした。

おわり。