これで最後か・・・この話終わるのか。いつかは来るもんだけど、なんだかなぁ。
前はコレ。
じゃ、32日目から。
今日は滋賀へ北上。イヤ、ちょっと待って欲しい。今は三重。フツーに回るなら東側の愛知へ向かえば良いのになぜ一度行った滋賀に?まあ落ち着いてお聞きなさいよアータ。ちゃんとした理由があるんですからアータ。青山高原っていう綺麗な場所があるんですから。
・・真っ白。イヤこれはこれでスゲェんだけど、オレの思ってた四国カルスト的な綺麗さとは違うような・・
正直道中から分かってたよ、「コレてっぺんまで登っても晴れねえだろうな」って。でも走ってるうちにイイ感じに晴れて、イイ感じに伸び伸びとした景色が見れんだろうなって思ってたけど、そんなことは無かったね。1日目の山道といい、全く成長してない・・・
次に向かったのは豊郷小学校旧校舎。そうなの、漫画アニメ作品「けいおん!」の舞台なの。学生時代初めて最終話まで見た思い出の作品でさ、どーしても行きたくて行きたくて。
あースゴイ、
いやーそのまんま、
おーこれはこれは
ほー見たことある、あるな・・
こんな風に懐かしむを通り越して、作品を見ていた頃にがっつりタイムスリップした感覚に陥って危なかった。当時あった出来事を色々思い出し、大の大人が廊下ですすり泣く絵は見るに堪えないので、とっとと退散することに。
本当はいつまでも居たかったけど、振り切って鈴鹿スカイラインへ。つづら折り、つづら折り。シンプルに楽しい。滋賀はくもりだったけど、三重は晴れ。峠って上りと下りの天候がバッサリ変わるときが有るから好きだ。
この日は愛知県の地形で示す手の辺りに宿泊した。しかしアレだね、愛知の交通って荒いね。怖い怖い。
33日目。
愛知と言ったらトヨタ。本当は探せば有るんだろうけど、トヨタだなと。乗ってる車もトヨタだし。こんなにトヨタって書いたの人生で初かもしれないトヨタ。トヨタトヨタ。ああトヨタ。もういいか。トヨタ博物館へ。 中には色々な車が展示されていて、
昔のランドクルーザーから、
カローラ、
果てには時代を遡り過ぎてこんなのまで。
でも1番良かったのは入口前にあったコレかな。色合いといい、カタチといい、たまらなく好きだね。
乗り物に囲まれ次に向かったのは豊川稲荷。商売繁盛の御利益があるスゴイお寺だ。
オレ個人としてはサッパリ関係ないんだけど、家族が自営業してるから何となくさ・・
それ抜きにしても施設内は広く清々していて、心地いい場所だ。そこら中にベンチもあるし、ここでゆるやかに休むのも悪くないと思う。炎天下以外では。
キツネが凛々しい。
静岡へ向かい、着いたのは、そうヤマハ。ヤマハコミュニケーションプラザ。
8耐マシンだ・・・この前テレビで力強く走ってたバイクが目の前にあったんだもんな。
歴代のマシン。初めてポル・エスパルガロ選手のTOP10トライアルを見たとき衝撃だったな・・アレ見てR25買おうって思ったんだもん。
現行YZFファミリー。全部カッコいい。
MotoGPマシン。戦うバイクを間近で見ると、造形といい纏うオーラまで街乗りバイクとは全然違うわ。
MT09に搭載されてるエンジンのカットモデル。このバイク何度か乗ったことあるけど、「バイクをいかにしてコントロール出来るか」がこれでもかってくらい強調して問われるから好き。
ただ速いだけでなく、ただ軽いだけでなく、ライダー自身のマインドに全身でぶつかって揺さぶってくる姿勢、ワクワクすること間違いなし。
パリダカマシン。MotoGPマシンもそうだけど、何か1点のみに集中して出来上がったモノって、美しさみたいな何かを持ってるよな。
どれ見ても飽きるどころか見入ってしまい、ついつい長居してしまった。
34日目、最終日。
この日は意外にもあっさりしていて、別段どこかに寄る場所は決めておらず、行き当たりばったりで進んでいった。
まず、静岡の中心から一気に山梨にある富士五湖の1つ、河口湖へ。
生憎の天気だけど、綺麗で穏やかだった。
山梨に別れを告げ、東京の奥多摩へ。
まあ行くよね、奥多摩周遊道路。道がタイトでコーナーが多いから、スピードを出さない方が楽しかった。1つづつ噛みしめて。
・・オレは忘れない。忘れたくても忘れられない。真っ赤な夕日を背中に浴びながら家へと向かった、あの空間を。絶対に無事で帰るんだって。速いクルマに何回抜かされようが関係ない。オレはオレの安全と思ったペースで淡々と走った、あの時間を。
ホント恥ずかしい話なんだけどさ、このとき分かったんだ。「周りに流されるだけでなく、自分らしさも持つ」ことの大切さを。物事を良く見据え、自分が自分自身で納得のいく道を進むべきだって。
このバイク旅自体がそうだ。仕事を辞めたら仕事を探す。みんなが汗水垂らして働いてるそんな時、バイクに乗って遊んでるヤツなんて馬鹿野郎だ。なんて言われても仕方ないことをしていたと思う。というか面と向かって言われたんだよね。
すぐ求職して仕事にありついて、社会に復帰する。それでも良かったのかもしれない。でも事実今現在ここに存在するのは「大好きなバイクで旅をして、心身共に整理され、元気に会社員として働き続けている男」だ。
時間としては遠回りだったかもしれない。けど、自分が納得出来る旅をし、納得するまで自分を確認したからこそ、納得して社会に復帰することが出来た。
決して100人中100人に褒められるような方法ではないことは確かだ。でも、もしもあのとき旅をせず以前のオレのまま生きていたとしたら・・・窮屈だったと思う。他人に流されっぱなしの人生を送っていた気がして。それなら今のオレの方が人として生きやすい。
あれからまだ半年。日は浅いけど、正直以前より失敗は多い。それでも受動的にポッと出た何かよりも、己で見て聞いて考え抜いた何かを信じてみたい。例えそれが効率的でなくても、型破りだと指を刺されようと、2つの出口が同じであったとしても。・・もちろん誰にも迷惑かけてないことが前提だけどね。
そのようなことを考えていた間に気付けば夜。でも怖くない。最後の最後まで力強く走り、無事に我が家へと着いた。
・・・いかがだっただろうか、今回の旅。
オレ個人としては満足を通り越して、ありがたいと思える旅だったけど、果たして見ている方はどうなんだろうかと。ブログという都合上、迫力の強いものだけを断片的に切り取ってるから、知らず知らずにどの巻も同じテイストになって飽きたりしてねえかなって。「あーあ、またコレかよ」みたいな。しかも旅が終わって結構時間が空いて更新してるから余計にね。
普段は読者とかスターとか、そういうのはあまり考えずに書き飛ばしてたんだけど、いかんせん長編な上にそんな不安があったから気になっちゃって。「見てみようかなって思ったは良いけど、コイツ全然更新しねーじゃねえかよ何かメンドクセ見んのやーめた」ってなるのが怖くて怖くて。見てる側からしてアレほど無駄な時間は無いから、それだけは何とか避けたくて隙間を見つけてはチョコチョコと書いてはいたんだけどね・・・って言いながら3週間くらい離れてた時もあったり。思ったとおりにはいかなかった。
でもそんなペースでも毎回反応があったりして嬉しかったな。なんだかんだ見てくれてる人は見てくれるんだなって。それとアレは多分故郷か何かなんだろうな、ある記事ではいつもより大きく反応してくれた人が居たりして、「そういう人が今回も居るのかな?」とワクワクしながら記事を書いていたり。まあ個人的には楽しかったよ、このシリーズやってて。
そうなのよ、楽しかったのよ。その楽しいが故に終わってしまうことの寂しさが大きくてさ。だからこうやって感想でも今思ってることでも何でもいいから書いて終わらせまいとしているオレが居て。いつもテキトーなこと書いてるのに、この後半にかけての豹変ぶりったらない。よっぽど終わらせたくないんだろうなオレ。
とはいえ始まりがあれば終わりがあるもの。勇気を持って今回の旅の記録を終えたいと思う。
最後に、この日本バイク旅を見てくれた人、旅の道中で親切にしてくれた人、そしてほぼノートラブルで走り抜いてくれたR25に大きな感謝を込めて。ありがとう。
ほんとうに、ありがとう。
おしまい。
おまけ。
実は都合により数県回れなかった所があるので、完全には終わってなかったりする。
いつ回るのかは未定。明日かもしれないし、ジイさんになってからかもしれない。オレのことだから心の底から行きたくなったら行くんだろうな・・
ほんとうに、おしまい。