散歩とインターネット

散歩が日課だ。

雨の日でも風の日でも、さすがに嵐の日はしないけど…まあそんな頻度で短い時間を見つけてほぼ毎日近所を歩いている。

時間帯によっては部活終わりの学生が指定のジャージのままランニングしてたり、健康目的であろう老夫婦が肩外れるんじゃないかってくらい上腕をスイングしてウォーキングしている人も見かける。

 オレは気晴らし程度にポテポテ歩いてるから、彼らに抜かされるのは必至で、酷い時にはオレが町内1周している間に向こう側から3回顔を合わせた、なんてこともある。

最初のころは恥ずかしくて「時間帯ずらそうかな」と思ってたけど、そのうち「別に悪いことしてないし良いか」と何事もなく歩けるようになった。

オレはタダの自己満足で、相手は何かしらの目的を持って取り組んでいる。そりゃスピードから結果と見えるものの何から何まで違うのは当たり前だから問題ないと思えたそのとき、「あぁ、ネットもそういうもんなのかな」と感じた。

 

たまに、バイクのことなら何でも投稿している人がいる。新車情報、ツーリング日記からレース結果まで「それって丸々オフィシャルサイトに載ってないか?」って思えることまで高頻度でバンバン出してる姿を見て「節操ねぇなあ…」と広告のバツマークを押しながら思うときがある。

逆にマンガや映画とかを鑑賞して「面白かったぁ」「○○尊い」で感想が止まっているのを見てると、作品愛の感じられない感想だなと思ってしまっていた。

でもさ、それってオレの物差しで測ってるだけだったんだよね。「何となく人気だから見てみた」とか「このスゴい情報をオレのステージで伝えたい」や、「広告費を増やしたい」とか「ファンで興奮し過ぎて衝動を言葉にした」みたいに、ライトからヘビーと行き過ぎちゃって逆にライトになってしまったか分からない。大きい邪さなのか純粋な情報提供かは分かってないのに、今まで何事も自分の中のきっとそうだで決めつめてしまっていた。

色んな意図が入り乱れるネット社会、誰がどんな思いでアクションしているかの真意は本人しか知らない。そんな場所なら悪いことさえしてなければ別に何しても良いのかなって思えてきたんだよね。

仮に節操感じさせない広告収入の仕方で小遣い稼ぎしてたとしても、素敵な作品をこなれた表現でしか現せない人が居たしても、ソレはソレで突っかからず流しておけばいいやと。逆も逆で基本的には流す。

そもそも各々が持つ充実のラインがあるから、オレ個人の気持ちや道徳がイチイチ介入する必要は無いなと。どんなに誰かにありったけの思いを込めたって所詮は他人事だもん。オレがどうにかなるワケじゃないし。

ハッキリ言うと、速く走れて、趣味で稼いで、緻密な考察を展開したのはソイツが勝手に頑張ったってだけ。歩いて、ただ好きなこと書いて、簡単な言葉を並べるのはソイツにとってその温度が丁度いいってだけ。どっちにだって良さはある。正直モノに深いも浅いも、潜っちまえば同じだ。生業じゃなければ。

じゃあそんな世界でオレはどう振る舞えばいいのか。これは多分だけど、無理せず活動し無闇に他人への押し付け匂わせ煽らせに触れないことだと結論づけた。

だって走ったら疲れちゃうし、何かを課されて達成出来なかったら凹むじゃん。それと誰かを意図して動かすって責任重いじゃん。めんどくせえよ、そんなの。やんないやんない。

その場その場の最低限のマナーは守るとして、広く見ればたかがヒマつぶし。そこにスゴいスゴくないは無く、肩肘張る張らないも自由だ。

だからこれからもフツーに町内を歩くし、今日もこの場で自分がやりやすいように言葉を吐く。

なので今日はこれくらいでおわりま〜す。どっちかっつうとオレは張らない派っすからね…テキトーだっていいじゃない。