真面目なんか良いことではない

かといって悪いことでもない。爪の形が綺麗とかの「まあそうだったら…」レベルの+−ゼロゾーンにある属性なんだなと気付かされた。つい最近になって。

 

自分で言うのも恥ずかしいが、ある時までオレは真面目なことを誇っていた人間だった。

人から褒められた時は素直に喜び、逆に怒られた時は強く受け止め深く反省をする。

それだけならまだ良いが、友達や家族が昔に言ったことも妙に覚えていて「それって数カ月前も言ってたぞ」と言うと本人は覚えていない、なんて事はザラにあった。

いま振り返ると人のことが好きだから、毎回どんなことでも100%、時には120%身を乗り出してたから記憶してたんだと思う。

なので仕事場では同僚に勤勉と称され、プライベートでは友人にマメな男だと太鼓判を押された。

「ああ、これは良いことなんだな」と20数年思っていたが、去年の10月、ついにパンクをした。

 

どのフィールドに居ても予期しない、自分だけじゃどうにもならないことが休まることなく雪崩込んで、ガマンや反省の早い繰り返しに陥り、胸が苦しみ始め、呼吸が薄くなり、手足が脱力し、倒れた。

救急車に運ばれ、意識が戻り、手足が動くようになり、胸も緊張しなければ苦しくなくなったのが今年の7月。もう半年以上も経ってた。

最近では1時間ならバイクに乗れるくらいまで回復し「この調子ならそのうち治るだろ」と、心のひと段落が出来たのでこのことを書いてる。

 

まあその、要はアレですよ。他人の事は半分くらい流してるのがちょうど良かった、そしてもっと他人を巻き込めって話だったんですよ。

誰がどう思ってるとか誰にどう思われたいかとか、そういう見えないものに気を使ってるとさ、疲れる。

良き友として良き家族として良き人間として、常に人間的に成長したいと思っていたが、壊れてしまってはそれも意味が無いって気付いたね。この歳で。

とはいえ何も聞き入れないのもダメだし、年々燃え上がる向上心と思ってたより弱っちい身体と相談して「半分くらいは頭に入れよう」というのがオレの今後の方針となった。

あと、頼ることを大切にした。言い方を砕くと「言語として伝わらなくても良いから、サインは出してこう」ってヤツ。

身体が疲れた、気持ちが悪い、間に合わなそうだからどうにかしたい。愚痴や相談やお願いとか、どんなに細かなことでも誰かとコミュニケーションするように心掛けた。

昔は「ちょっと気合入れればどうにか自分だけで…」っていうのが多くて。頼る=弱いみたいな思考だったんだけど、それじゃ限界ってあるんだよ。

単純な話で1人だったら1通り、10人聞いたら11通りのパターンがあって、その中から良い方法を採用していくっていうことが時には大切なのよね。もしかしてラッキーでサポートしてくれるかもしれないし。

たとえ全員に問いかけて全員からイマイチな返答しか来なくても「アイツは今悩んでるんだ」「アイツに任せようとしたけど止めた」って相手にオレの意志は伝わるから無駄ではないなと。

 

オレ自身要領や立ち回りなどの社会人スキルのうち、真面目だけが取り柄だったから手放すのには強い抵抗があったけど、「まず生きなければ」と思ったら意外とすんなり手から離れた。

それから数ヶ月経ってるけど、周りからの感触は変わらない。時々すっぽかし怒られる事もあるが、誠意を持って謝れば大抵のことはみんな許してくれる。

いま思えば真面目に縛られて要らぬプライドが植え付けられてたのかもしれない。

さっきも「良き○○」なんて気持ちを綴ったけど、そう振る舞って他人がどう思うかは別だし。勤勉じゃなかったら棒っ切れでブン殴られる厳しい世の中じゃないし。辺りを見回せばマメじゃなくても幸せになってるヤツはゴマンと居る。

だから真面目なんかどうってことない。

もっと大切なことはある…はずだ。

実は見つかってないんだ、正解が。

でもそれはこれから見つけていく。

見つかったらこの場で書こうと思う、いつの日かは知らないけど。

おわり。